長崎市本河内4丁目2439
本河内トンネルと新日見トンネルの間に奥山バス停がありそこから奥山地区に行く道路を下り突き当りを左折すると本河内高部水源地のほとりに出ますが、そこにある旧道につながる瑠璃光山橋の近くに入り口があります。
これが曹洞宗「瑠璃光山妙相寺」参道です
入ってすぐ右手には地蔵堂があり
地蔵菩薩が祀られています
これが長崎でも有名な「妙相寺の石門」です・・・ちょっと見え難いでしょうが門の上部に「瑠璃光山」という文字があります。
このお寺の歴史は古く「寛永19年に創建された今籠町の宗円寺であり、本尊薬師如来が人々の尊崇を受けていたが、衰微し廃寺同様になっていたという。この宗円寺を延宝7年に晧臺寺五世逆流禎順が再興、瑠璃光山妙相寺と改称し、晧臺寺末寺としたと伝えられている」そうです。
ちなみに先ほどの石門の文字も逆流の書です。
ご本尊は薬師如来ですが右下にあるのが「木喰上人自刻像」だそうです
このお寺も長崎大水害で被害を蒙りました・・・木の枝に遮られましたが「長崎大水害」の慰霊碑があります
お寺の横にある池にあるカメの置物も時代がかっています
裏手の林の中にある像もなんだか木喰上人っぽいですね
本河内トンネルと新日見トンネルの間に奥山バス停がありそこから奥山地区に行く道路を下り突き当りを左折すると本河内高部水源地のほとりに出ますが、そこにある旧道につながる瑠璃光山橋の近くに入り口があります。
これが曹洞宗「瑠璃光山妙相寺」参道です
入ってすぐ右手には地蔵堂があり
地蔵菩薩が祀られています
これが長崎でも有名な「妙相寺の石門」です・・・ちょっと見え難いでしょうが門の上部に「瑠璃光山」という文字があります。
このお寺の歴史は古く「寛永19年に創建された今籠町の宗円寺であり、本尊薬師如来が人々の尊崇を受けていたが、衰微し廃寺同様になっていたという。この宗円寺を延宝7年に晧臺寺五世逆流禎順が再興、瑠璃光山妙相寺と改称し、晧臺寺末寺としたと伝えられている」そうです。
ちなみに先ほどの石門の文字も逆流の書です。
ご本尊は薬師如来ですが右下にあるのが「木喰上人自刻像」だそうです
このお寺も長崎大水害で被害を蒙りました・・・木の枝に遮られましたが「長崎大水害」の慰霊碑があります
お寺の横にある池にあるカメの置物も時代がかっています
裏手の林の中にある像もなんだか木喰上人っぽいですね