長崎ぶらぶら・・・観光客が行かない長崎

長崎市内にあるお寺や神社さらには公園と市場・・・メインは「長崎四国八十八ヶ所霊場」の紹介です

長崎の文化財

日見トンネル・・・国登録有形文化財

長崎市内の「国登録有形文化財」などを紹介する「長崎の文化財」という新しいカテゴリを追加しました・・・そんな場所だとこのブログのタイトルにもなっている「観光客が行かない長崎」に反していると思う人もいるかもしれませんね
でも大浦天主堂などの「国宝」やグラバー園などが選定されている「重要文化財」と違って「国登録有形文化財」は、一部を除いて指定されていることや中には存在自体が世間一般にはほとんど知られていないのです
このブログを見ている人はほとんどが長崎市内の方だと思いますが「池上家」「佐藤家」「橋口家」といった住宅を知っている人がどれくらいいるでしょうね

そんなわけで第1弾は「日見トンネル」です

日見トンネル02-2
長崎に住んでいる人で「日見トンネル」を知らない人はいないでしょうし、観光でこられる方も現在の新日見トンネルが出来る前はこのトンネルを利用した人がたくさんいたでしょうね・・・でもこのトンネルも「国登録有形文化財」になっているのはご存知でしょうか?

日見トンネル02
小学校のころは長崎市外に行く時は必ずこのトンネルを通り「トンネル内の照明は何個あるのか」というクイズをバスガイドさんが出すのがワンパターンでしたね^^;
当時長崎市内の車用のトンネルと言えばここと戸町トンネルくらいしかなく市内北部に住んでいた小学生が「トンネルを通る」ことは数年に一度くらいしか無かったのです

日見トンネル01
東長崎方面に出ると向かって左側にちょっとした公園みたいなのがあり

日見トンネル01-2
そこに「国登録有形文化財」に選定された経緯が記されています
平成13年ですから平成11年に新日見トンネルが出来てから登録されたのですね、今の若い人には通ったことが無い人も多くなっているでしょう
「国土交通省九州地方整備局」の案内では
長崎県が大正13年に着工し、2ヶ年で完成。全長642m幅員7.4mは当時日本最大規模のトンネル。昭和に入ってモータリーゼーションが進展する中、長崎に通じる唯一の動脈として大きな役割を果たしてきた。坑口のデザインは大正期の様式を色濃く残しており、平成13年度に国の有形文化財として登録された。」
と紹介されています

日見トンネル01-3
これが「国登録有形文化財」のプレートです

日見トンネル01-4
その傍にあるのは「梨子の木茶屋跡」の碑
 明治15年に車が通ることができる日本初の有料道路である「明治(日見)新道」というのがができたのですが、その時日見側の料金徴収所になったのが「梨子の木茶屋」だったそうです(「日見の史蹟」より)


日見トンネル01-5
この前にある狭い道を進むと以前「正しい休日の過ごし方」で滝を見に行った「松露渕水神宮」があります

長崎造船所ハンマーヘッド型起重機・・・国登録有形文化財

長崎の文化財・国登録有形文化財の第2弾は「三菱重工業長崎造船所ハンマーヘッド型起重機」です


文化庁の「文化遺産オンライン」では
長崎港に面する岸壁上に位置する。吊上能力150トン,高約61m,ジブ長約73m,英国マザーウェル・ブリッジ社製の大規模な起重機で,主柱間約12m四方とし,全体をトラスで組み上げる。造船技術の近代化を支え,近代長崎の港湾景観を代表する構造物
と紹介されていますが現役で稼動しているクレーンが有形文化財に登録されているんですね・・・現在話題の「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコ世界遺産に「長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン」としても登録されました


ハンマークレーン01
実際のところ三菱造船所の工場内にあるのですから近くまで行って見ることはできないので対岸の出島ワーフから撮影してみましたがさっぱりわかりません

ハンマークレーン01-2
アップで撮影してもなにしろデジカメの性能がそれほど良くはありませんから^^;


ハンマークレーン02
それならと少しでも近くの丸尾町の岸壁から見ましたが今度はちょっと角度が悪くて良く判りませんね


ハンマークレーン03-2
飽の浦の高台に上がってみると下の方は隠れていますがクレーンの部分は良く見えます

全体像を見るのなら高性能のカメラで撮影したであろうこちらのブログがおススメです(^^)

ジャイアント・カンチレバークレーン
日を改めて南山手から撮影してみましたがやっとまともに撮れました(^^)



小野原本店・・・国登録有形文化財

築町に古くからあるからすみの「小野原本店」の建物も国の有形文化財に登録されています

小野原本店01
浜町から築町商店街に入ると

小野原本店02
すぐに見える建物ですがゆっくりみたことが無い人も多いかも知れませんね・・・でもこの建物も国登録有形文化財なんです

小野原本店02-2

小野原本店02-4
こちらは「小野原本店店舗兼主屋」で例によって文化庁の文化遺産オンラインの紹介文を引用すると
角地に建ち、東側通りに正面を向ける。入母屋造妻入桟瓦葺、隅切りのある桁行4間梁間4間半の2階建で、北に突出部を設ける。2階を黒漆喰壁とし、両開鉄扉を正・側面に計10ヶ所開ける。1階に店舗、2階に座敷を設ける。重厚な意匠になる商家建築である。」
とあります

小野原本店02-3
一方こちらは「小野原本店附属屋」」で
主屋の北側に正面壁面を合わせて建つ。煉瓦造2階建で、パラペットを立ちあげ、モルタル塗仕上げとする。当初は1階が食堂、2階が納戸で、主屋突出部を介して主屋と一連で使われた。黒漆喰仕上げの主屋と対照的な外観や構造をもち、独特の街路景観を造る。」
とここも1ヶ所で二つの「国登録有形文化財」に指定されています

旧外海町の「大野教会堂」・・・国指定重要文化財

長崎市下大野町2619番地

今は長崎市に編入された外海町神浦の旧外海町役場跡にある「霧氷酒造」の前の山道を上がっていくのですが「この道で大丈夫かな」と思うくらい狭い山道が続きます

教会01-2
だから突然集落が現れるとホッとするかもしれませんね・・・琴海町や西海町に抜ける道がこの上を通っているので私は4~5年前に通ったことはありますが大野教会に寄るのは初めてです

大野教会02
集落の奥の方からちょっと左手に上がった場所にあるのが「大野教会」ですがちょっと見た感じは教会には見えません

大野教会02-2
正式には「大野教会堂」というみたいです・・・「ド・ロさまそうめん」にその名を残す「ド・ロ神父」が明治26年に建てた巡回教会で2008年に国の重要文化財に指定されています

大野教会02-3
文化庁の「文化遺産オンライン」では
大野教会堂は、大浦天主堂から外海地区の主任司祭として赴任したマルク・マリ・ド・ロ神父が、明治26年に建設した巡回教会である。教会堂は、会堂部と司祭室部からなり、会堂部の周囲に、割石を漆喰で固めた「ド・ロ壁」と呼ばれる壁体を築き、小屋は木造キングポストトラスとする。
大野教会堂は、数少ない巡回教会の遺構例であり、巡回教会の規模、会堂構成を知るうえで高い歴史的価値が認められる。 また、「ド・ロ壁」、キングポストトラスなど、ド・ロ神父の建築技法が典型的に示されており、重要である。

と紹介されています

大野教会03-2
これが地元の石を使って作られた「ド・ロ壁」でしょうね

大野教会03-1
教会のシンボルである十字架もささやかです^^;

大野教会04
現在は年に1度秋のみにミサが行われる時以外は扉も閉められていますが入口のガラス戸の1枚が透明なので中の様子を見ることが出来るようになっていました・・・教会の内部の写真は多分初めて載せるのじゃないかな?

大野教会04-2
教会堂に比べると横にあるマリア像がやけに新しく見えましたがこちらは教会設立100周年記念として出津教会の信徒によって建てられたみたいです・・・そういえば今年で120周年なんですね

文化財の種類・・・国登録有形文化財

「正しい休日の過ごし方」で手熊・柿泊地区の節分行事である「モットモ」が「国選択無形民俗文化財」に選定されるという記事を書き、さらにその「国選択無形民俗文化財」の紹介も書きましたがこの他にも国が選定した文化財は長崎市内にいろいろありますね・・・さらには長崎県や長崎市が選んだ文化財も当然ですがそれ以上あります

文化財
これが国の文化財のカテゴリですがやはり一般的に知られているのは有形文化財の中でも「重要なもの」として指定されている「重要文化財」と「特に価値が高いもの」となっている「国宝」でしょうがこれらの多くは観光客で賑わっていますからこのブログでは一部を除き紹介することは控えときます
同じ有形文化財でも「登録有形文化財」は世間一般的には知られていないような気がしますしそのほかのカテゴリの文化財も何が選定されているのか判らないものが多いと思われるの順次紹介していこうと思っています

ちなみに今まで紹介しているのは「登録有形文化財」になっている「日見トンネル」「三菱造船所のハンマーヘッド型起重機」「小野原本店」ですね

このほかに長崎市内にある「登録有形文化財(建造物)」は
 池上家住宅
  江崎べっ甲店 
  佐藤家住宅主屋・木造別棟・木造附属屋・石造倉庫A・石造倉庫B
  旧小川家住宅主屋(建築物)・石垣(工作物)
  中川橋
  長崎市旧市長公舎
  長崎大学経済学部拱橋
  長崎大学経済学部倉庫
  長崎大学瓊林会館
  橋口家住宅(主屋、倉庫)
  東山手十三番館住宅主屋
  東山手十三番館住宅倉庫 
  馬込教会 
  宮地嶽八幡神社陶器製鳥居
  料亭富貴楼
  小ヶ倉ダム・小ヶ倉ダム管理橋

となっていますが昨年は新たに2件追加されましたね・・・それも含めて紹介していきたいと思っていますがいくつかは「正しい休日の過ごし方」の記事の中で触れているのもありますからまずはそれらをアップしなおしましょうか^^;

西泊の「佐藤家住宅」・・・国登録有形文化財

以前「正しい休日の過ごし方」に書いた記事の中から「国登録有形文化財」関連のものをアップしなおしますがまずは「佐藤家住宅」からです

西泊01
「西泊天満宮神社」にも参拝しようと西泊の街中を歩いているとレンガ造りの古びた建物を発見

西泊01-2
見ると文化庁の「登録有形文化財」のプレート(゜o゜)

西泊01-3
「佐藤邸」といってわが町の自慢120選によると「佐藤邸は幕末から明治中期にかけて建てられた5棟の建物(主屋、木造家屋、石倉2)からなります。主屋は当時としては貴重なレンガを用いた建物で、倉は長崎ではめずらしい石積りでできており、質倉として利用されていました。幕末から明治にかけて西泊町発展の証しであり、象徴的な建物といえます。」だそうですが全く知りませんでした^^;

長崎県のHPによる紹介では
 佐藤家住宅は,長崎湾西側海岸近くに位置する。東西方向の道路に北面する主屋は,木造2階建で立ちが高い。隣地境界に接する東側に煉瓦造りの防火壁を立ち上げる点に特徴がある。伝統的な木造に煉瓦造りを巧みに取り入れた珍しい明治中期の住宅建築である。別棟は母屋の南側に建つ離れで、石造りの1階部分の上に木造の2階部分がのる形の建物。附属屋は、母屋の南西にあり、石塀付きの木造平屋建である。石造倉庫は砂岩を積んで外壁とし、軒蛇腹と妻壁には扁平な形状の「コンニャク煉瓦」とよばれる煉瓦を積む。
となっています

小ヶ倉ダム・・・国登録有形文化財

これも「正しい休日の過ごし方」からの抜粋記事です^^;

小ヶ倉ダム01-2
ここが小ヶ倉ダムがある「小ヶ倉水園」の入口です

小ヶ倉ダム02
趣のある遊歩道といった感じの小径を歩いていくと思ったより短い時間で

小ヶ倉ダム02-5
「小ヶ倉水園」に到着です・・・この橋も国登録有形文化財なんですね(゜o゜)
この橋の上から右手を見ると

小ヶ倉ダム03
小ヶ倉ダムです(^^) これも国登録有形文化財になっています

小ヶ倉ダム03-2
この川もかなり作りこまれているみたいですね、ただ手入れをする予算までは無いのか雑草が生い茂っているのが残念です

小ヶ倉ダム03-3
「国登録有形文化財」以外でも2009年には土木学会の「選奨土木遺産」にも選定されています

小ヶ倉ダム03-4
この「小ヶ倉水園」は長崎市水道創設100周年を記念して平成4年に造られたそうです

長崎県の紹介では
小ヶ倉ダムは、大正15年(1926)年に完成したコンクリート造のダムで、長崎市街南部の上戸町に所在する。長崎市には、明治期より本河内高部ダム、本河内低部ダム、西山ダムが建設されていたが、大正9年(1920)の市域拡張によって約2倍(約23万人)となった人口に対応するために、新たな水道拡張事業として建設されたものである。現在もダムとして現役であり、市街南部に配水が行われている。現在、ダムの周辺は、市民の憩いの空間として整備が行われ、親しまれている。
 小ヶ倉ダムの特徴は、見られることを意識した高いデザイン性にある。ダムの壁面に、国会議事堂にも使用されている山口県徳山産の御影石を使用し、先行する明治期のダムには見られなかった、余分な水を越流させる余水吐(よすいばけ)とよばれる放水路が採用され、苔で覆われる以前は「白亜のモダンなダム」であった。余水吐から流れ下った水は、副ダムで緩衝され、副堰堤(えんてい)の緩やかなカーブの壁面を伝って川へ流れる。この川には、ダム建設当時に架けられた管理橋が残されており、たもとの土台部分や橋の側面に、大正時代の近代的なデザインをみることができる。
 小ヶ倉ダムおよび管理橋は、大正時代において西日本最大級の都市であった長崎にふさわしいモダンな水道施設であり、登録基準の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当する


となっています
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