長崎四国八十八ヶ所霊場
長崎市伊良林1丁目4-11
「飴屋の幽霊」で知られた光源寺から「竹ン芸」の若宮神社の参道に行く途中にあります。
道を歩いていると普通に建っていますし建物も最近立て直されたみたいできれいなのでそれと気づかないかもしれませんね、何せ多くのお堂は古くなっているのが多く周りの建物から浮いている場合が多いですから。
表もアルミサッシになっています・・・お賽銭は郵便受けから入れると下の容器に入るようになっています。
開放しているのは日曜日の昼間だけということなので、鍵は掛かっていますが表はガラスなので中の様子は覗けます。管理をしているのが伊良林1丁目自治会なのできれいですね。
隣にある巨石は灣月石(三日月石)と呼ばれ、ほど近くにある「長崎西国三十三ヶ所霊場第21番札所」にある石とともに空から落ちてきた時に割れたものだそうです・・・その前にある碑には「弘法大師霊場第6番札所」とありますがこれは大正時代に選定されたそうです。
「飴屋の幽霊」で知られた光源寺から「竹ン芸」の若宮神社の参道に行く途中にあります。
道を歩いていると普通に建っていますし建物も最近立て直されたみたいできれいなのでそれと気づかないかもしれませんね、何せ多くのお堂は古くなっているのが多く周りの建物から浮いている場合が多いですから。
表もアルミサッシになっています・・・お賽銭は郵便受けから入れると下の容器に入るようになっています。
開放しているのは日曜日の昼間だけということなので、鍵は掛かっていますが表はガラスなので中の様子は覗けます。管理をしているのが伊良林1丁目自治会なのできれいですね。
隣にある巨石は灣月石(三日月石)と呼ばれ、ほど近くにある「長崎西国三十三ヶ所霊場第21番札所」にある石とともに空から落ちてきた時に割れたものだそうです・・・その前にある碑には「弘法大師霊場第6番札所」とありますがこれは大正時代に選定されたそうです。
長崎市中川2丁目4-7
以前は鳴滝高校に上る道の途中古橋からの道と交差するところの右手にありました
これがかつての長崎四国八十八ヶ所霊場77番札所「中川町地蔵堂」です
この写真を撮った当時は「長崎四国八十八ヶ所霊場」にさほど興味も無くお堂と巡拝案内の看板だけだったので、改めて撮りに行ったら・・・
何とお堂が工事中!
聞けば「道路拡張工事」のためにお堂は移転するとのこと! どこに移るのか工事をしている人に聞くと・・・小道を挟んだ右側のフェンスに囲まれた場所に移るそうです^^;
これが移転先・・・台座だけが早々と設置されています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年9月に行くと新しいお堂が完成していました
真新しい建物に「長崎四国八十八ヶ所霊場」の看板だけは前のままです
入口も開いていて参拝しやすい雰囲気です
内部も真新しい中でご本尊も輝いているような感じがします
訪れた時は「管理者未定」だったのですが現在はどうなんでしょうか
以前は鳴滝高校に上る道の途中古橋からの道と交差するところの右手にありました
これがかつての長崎四国八十八ヶ所霊場77番札所「中川町地蔵堂」です
この写真を撮った当時は「長崎四国八十八ヶ所霊場」にさほど興味も無くお堂と巡拝案内の看板だけだったので、改めて撮りに行ったら・・・
何とお堂が工事中!
聞けば「道路拡張工事」のためにお堂は移転するとのこと! どこに移るのか工事をしている人に聞くと・・・小道を挟んだ右側のフェンスに囲まれた場所に移るそうです^^;
これが移転先・・・台座だけが早々と設置されています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年9月に行くと新しいお堂が完成していました
真新しい建物に「長崎四国八十八ヶ所霊場」の看板だけは前のままです
入口も開いていて参拝しやすい雰囲気です
内部も真新しい中でご本尊も輝いているような感じがします
訪れた時は「管理者未定」だったのですが現在はどうなんでしょうか
長崎市木場町1312
ここは探すのに苦労しました・・・やはり中心地を外れると住所だけではなかなか検索できないのです
木場のバス停から「日向平観音堂」ある日向地区方面に向かい途中からちょっと右に入ると途中にあります・・・カーナビだと目標は「松尾コーヒー」でしょうか地図はこちら
外観はかなり痛んでいますね
ここが長崎四国八十八ヶ所霊場第28番札所の「倉谷地蔵堂」です
敷地内にはいろいろと碑もあるのですがかなり風化しています
外観に比べると内部はまだ手が入っているみたいで整えられています
ご本尊はもちろんお地蔵様です
ここは探すのに苦労しました・・・やはり中心地を外れると住所だけではなかなか検索できないのです
木場のバス停から「日向平観音堂」ある日向地区方面に向かい途中からちょっと右に入ると途中にあります・・・カーナビだと目標は「松尾コーヒー」でしょうか地図はこちら
外観はかなり痛んでいますね
ここが長崎四国八十八ヶ所霊場第28番札所の「倉谷地蔵堂」です
敷地内にはいろいろと碑もあるのですがかなり風化しています
外観に比べると内部はまだ手が入っているみたいで整えられています
ご本尊はもちろんお地蔵様です
長崎市本河内2丁目1番(本河内郷有墓地内)
ずっと以前は「長崎四国八十八ヶ所霊場」の一覧の中に「番外」として大光寺・山口大師堂・田川宅などいくつかあったのですが私が廻った2年前にはこの「一ノ瀬無縁塔」しか無かったですね・・・現在はどうなんでしょ?
国道34号線沿いの細い道を「聖母の騎士」方面に歩いていくとガードレールにいつもの案内板が見えます
そこの石段を上がり突き当りまで行くとやっと「一ノ瀬無縁塔」がありましたが、これはその中でもひと際大きい俗称「お亀の塔」と呼ばれているそうです
ここは長崎市の有形文化財に指定されているんですね・・・案内板によると「寛文2年(1662)に長崎で痘瘡(天然痘)が流行し2千人以上の犠牲者を出し特に幼児の死者が多かったので供養のためにこの塔を建立した」そうです
さらに続けて「なお、四面の上部にはめてあった銅像の内の地蔵菩薩像が昭和29年(1954)に盗難にあったので残る三面の釈迦如来・阿弥陀如来・観音菩薩の銅像は取りはずして長崎歴史文化博物館に保管されている」とありますが塔にある仏像は何だろうと思ったら・・・長崎市のHPに続きがあり「現在は代替像を安置している」そうです(^^)
敷地内には他にもいろんな碑が建っていますがかなり風化が進んでいます
2年前に途中まで書きかけて間違えてアップしていたのをやっと書き改めました
ずっと以前は「長崎四国八十八ヶ所霊場」の一覧の中に「番外」として大光寺・山口大師堂・田川宅などいくつかあったのですが私が廻った2年前にはこの「一ノ瀬無縁塔」しか無かったですね・・・現在はどうなんでしょ?
国道34号線沿いの細い道を「聖母の騎士」方面に歩いていくとガードレールにいつもの案内板が見えます
そこの石段を上がり突き当りまで行くとやっと「一ノ瀬無縁塔」がありましたが、これはその中でもひと際大きい俗称「お亀の塔」と呼ばれているそうです
ここは長崎市の有形文化財に指定されているんですね・・・案内板によると「寛文2年(1662)に長崎で痘瘡(天然痘)が流行し2千人以上の犠牲者を出し特に幼児の死者が多かったので供養のためにこの塔を建立した」そうです
さらに続けて「なお、四面の上部にはめてあった銅像の内の地蔵菩薩像が昭和29年(1954)に盗難にあったので残る三面の釈迦如来・阿弥陀如来・観音菩薩の銅像は取りはずして長崎歴史文化博物館に保管されている」とありますが塔にある仏像は何だろうと思ったら・・・長崎市のHPに続きがあり「現在は代替像を安置している」そうです(^^)
敷地内には他にもいろんな碑が建っていますがかなり風化が進んでいます
2年前に途中まで書きかけて間違えてアップしていたのをやっと書き改めました
広告
最新記事
カテゴリ別アーカイブ
リンク集