諏訪神社には初詣に行かれる方が多いでしょうし観光客も多くの方が参拝に訪れていますが拝殿の裏手に行く人はほとんどいないでしょうね
この諏訪神社の案内図には描かれていますがいろんな神社や祠があるのです
拝殿の脇から上がっていくと先ず目に入るのはかつての名旅館「諏訪荘」です・・・諏訪神社のHPでの紹介では「大正9年長崎の豪商永見寛二氏が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築」だそうです。炉粕町の日銀の先にあったのですが昭和59年に廃業した後、平成になってここ諏訪神社の境内に移転されました
現在は神社の行事などで利用されたりしていますが時々「長崎さるく」のイベントで内部に入ることもできるみたいです・・・私は1度だけ以前の場所にあったころ入ったことがありますがほとんど記憶に残っていませんね^^;
旧諏訪荘を右手に見ながら石段を上がっていくと正面にあるのが「蛭子(ひるこ)社」という水上安全&水泳上達の神様を祀っているそうです
その蛭子社の横に鳥居が並んでいますがこれが「玉園稲荷神社」の参道です
その途中にはいろいろと社が並んでいますが、まずは「厳島神社」・・・相殿神の多さに驚きますが広島の厳島神社には36もの相殿神があるらしいですね
こちらは「祖霊社」といってフェートン号事件で責任を取り自刃した松平図書頭を始め歴代の諏訪神社の宮司さんや長崎の神道者の霊を祀っています
何故か「八坂神社」もあります
突き当りまで進むと大きな楠の後に拝殿がありますがこの楠は「抱き大楠」と呼ばれているそうです
これが玉園稲荷神社です
正月だというのに諏訪神社とは無縁の静寂に包まれています
拝殿の隣には「かえる岩(どんく石)」といわれる大石が祀られていますが、この石は江戸時代からしめ縄が張られ「帰る」に繋がる「霊石」として崇敬されていましたが、長崎大水害のおりに本殿への土砂をくい止めたので「災害除け」という新しい信仰も生まれているそうですね
「玉園稲荷」というくらいですから狛犬の代わりに狐がいくつも奉納されていますがいろいろと咥えていますね^^;
この諏訪神社の案内図には描かれていますがいろんな神社や祠があるのです
拝殿の脇から上がっていくと先ず目に入るのはかつての名旅館「諏訪荘」です・・・諏訪神社のHPでの紹介では「大正9年長崎の豪商永見寛二氏が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築」だそうです。炉粕町の日銀の先にあったのですが昭和59年に廃業した後、平成になってここ諏訪神社の境内に移転されました
現在は神社の行事などで利用されたりしていますが時々「長崎さるく」のイベントで内部に入ることもできるみたいです・・・私は1度だけ以前の場所にあったころ入ったことがありますがほとんど記憶に残っていませんね^^;
旧諏訪荘を右手に見ながら石段を上がっていくと正面にあるのが「蛭子(ひるこ)社」という水上安全&水泳上達の神様を祀っているそうです
その蛭子社の横に鳥居が並んでいますがこれが「玉園稲荷神社」の参道です
その途中にはいろいろと社が並んでいますが、まずは「厳島神社」・・・相殿神の多さに驚きますが広島の厳島神社には36もの相殿神があるらしいですね
こちらは「祖霊社」といってフェートン号事件で責任を取り自刃した松平図書頭を始め歴代の諏訪神社の宮司さんや長崎の神道者の霊を祀っています
何故か「八坂神社」もあります
突き当りまで進むと大きな楠の後に拝殿がありますがこの楠は「抱き大楠」と呼ばれているそうです
これが玉園稲荷神社です
正月だというのに諏訪神社とは無縁の静寂に包まれています
拝殿の隣には「かえる岩(どんく石)」といわれる大石が祀られていますが、この石は江戸時代からしめ縄が張られ「帰る」に繋がる「霊石」として崇敬されていましたが、長崎大水害のおりに本殿への土砂をくい止めたので「災害除け」という新しい信仰も生まれているそうですね
「玉園稲荷」というくらいですから狛犬の代わりに狐がいくつも奉納されていますがいろいろと咥えていますね^^;